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1450 九十九歳の解体新書 [詩・エッセイ]


「お忙しい方はスルーして下さい」


七十四歳の誕生日を迎えるまでは、

この年の割には身内の者を弔うという不幸が余りも少なかった。

その平穏な日々が崩れたのは、

意識のないまま五年も眠り続けていた義父が眠ったまま旅立って行ったことである。

覚悟はしていたもののもしかしたら目覚めるのではないかと淡い期待もあり、

子供たちが落胆するのは当然の事であった。

通夜が終わり、翌日の葬式もつつがなく終わったが、

骨折して体の不自由な母親の面倒を見るため家内は夜遅く帰って来て高熱を出した。

翌日、私も高熱を出して医者に診てもらうとインフルエンザ(A)であった。

私は、生まれて初めてのインフルエンザであっる。

家内はタミフルを飲むと、その効能の通り一週間で治った。

私はタミフルを飲んで四日目で36度まで熱が下がった。

その翌日からは39度前後の高熱が続き、

恐ろしいほどの咳や痰に見舞われている。

あと一つは書きたい。

肺炎を疑い私は翌日病院に行き意識朦朧としながら二時間半も待たされた。

看護婦さんは優しかったが事務方は優しくなかった。





「九十九歳の解体新書」


私の義父は、難病のレビー小体型認知症を患い、生々しい幻覚に

悩まされ続けながら三年、更に意識が無くなってから五年余りも眠り

続け、白寿を迎える一年を前にした一月の寒い朝、眠ったままあの世

に旅立った。意識が無くなってからも家族の者が「お祖父ちゃん来

たよ」と病院に行って話し掛けると「おぅ」とか「あぁ」とか声を

出し、手足や顔を撫で擦ってやると色んな反応を見せていたから、

何時かは目覚めるかもしれないと淡い期待を抱いていたのに、月

日が堆積されるごとに反応は鈍くなりはじめ、定められた蝋燭の 

炎は燃え尽きてしまったのである。              

斎場で、咲き乱れる花に埋もれ華麗なる柩で焼き場に向かったは

ずの台車なのに、、白く焼かれて柩の残骸を乗せて戻って来たそれ

を見て、私は何の脈拍もなく「広島平和記念資料館」で見たことの

ある写真を連想してしまったのである。その広島と、義父とはな

んのつながりもなければ話をしたこともなかった。その台車の上

に残った骨を斎場の職員が「これがの徒仏で御座います」「これ

が膝の骨です」などと解説している姿は、まるで解体新書」の腑

分けのようであった。よくも兵隊にとられたものだと思うほどに

小柄で、生真面目で、善良であったエピソードに事欠かない、小市

民の代表のような義父であ。その義父が生前にたった一度だけ、

お墓参りの途中の山の中で、子供や、孫や、私たちを座らせ、

義父が戦場で体験した身の毛だつような生々しい恐ろしい話を

してくれたことがあった。その話を残したいから活字にして欲

しいと私に頼み、それから数年して義父は病に倒れたが、私は

義父に頼まれたことを、まだ一行も書いていない。その葬式の

日、車窓から見える白鷺城のある兵庫県南部に、私の好きな

雪が降った。                     




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