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1492 ジムグリ…美少女・天使の使い [詩・エッセイ]


「ジムグリ…美少女・天使の使い」


ジムグリ(地潜)に出会ったのは10月20日(日曜日)の昼下がりだった。

落花生を収穫するため息子(なさぬ仲の40過ぎのオッサン)に畑を掘って貰っていたところ、

「何か変なものが居るという」

きっと蚯蚓の大きいものだと思って探していたら、

蚯蚓より一回り大きいピンク色(茶褐色)の蛇が現われ、

私は思わずその蛇を足で踏んずけていた。

なんと綺麗な蛇なんだろうと見惚れてしまっていた。


息子がすぐにスマホで調べると、ジムグリ(地潜)だと分かった。

後期高齢者の私も、古来稀なる家内も、

生まれた時から惑っている思惑の息子も見たことが無いという。

長さは50センチから60センチくらい。

(成人したら70センチ~100センチくらいあるそうです)

それにしても美しい蛇である。



その紹介によると、

日本に棲んでいるが、なかなかお目に掛かれない蛇だそうです。

ジムグリは日本の固有種で、派手な見た目と可愛い顔で知られていますが、

その姿を見たことがある人はとても少ない珍しい蛇です。

理由は生息数が少ないという事ではなく、その生態にあります。

中略、

ナミヘビ科の特徴として全身は細長く、頭部や腹部の大きさも均一になっています。

体色は背部は赤褐色、腹部は黄褐色、をベースに黒い縞縞模様が入っています。

黒い縞縞模様が入っていない真っ赤な個体もおり、

こちらはアカジムグリとよばれています。

幼体の時ほど赤色がはっきりしており、成長するにつれて黒ずんできます。

中略、

ジムグリは眼を見張るほどの美しさから、、

もっと知名度が高くてもいい蛇だと思いますが、地中に生息しており、

姿を見掛けることがないことから、

同じナミヘビ科の青大将やシマヘビと比べるとあまり知られていません。

見付けることができればとてもラッキーなので、

じっくり観察してください。



私も蛇は嫌いであるが、

このジムグリには魅せられてしまった。

それは美少年か、

それとも絶世の美少女であった。

逃げられないように一升瓶(どうしてこんなところに?)に誘拐してしまった。

「ごめんなさいね、すぐに釈放するからね」という約束だったのに、

医者に行ったり、土砂降りの雨が降ったり、

この畑の小屋に来たのは三日後であった。


朝一番に来たらジムグリの様子がおかしい。

大吟醸の一升瓶は色がついていて中の様子が分かりにくい。

中のジムグリの動きがないように見える。

これはえらいことをした。

これは悪いことをしたと罪悪感に囚われながら、

その言葉を呪文のように唱えながら

ジムグリを一升瓶から出そうと必死になるが塊となって出て来ない。

非常手段だとばかりに一升瓶の喉口を鑢で擦り。

その傷跡をハンマーで叩くと首が折れてくれた。

塊になって出て来たジムグリは暫くはピクリともしなかったが、

時間が経つにつれて動くようになり安心したのだった。


ジムグリに散々謝って好きな所に行ってくださいとお願いしたのに、

中々行こうとしないのである。

見かねて、

棒切れで外のジャガイモ畑から出て行ってくださるようにお願いしたのに、

引き返して来て私を見ているのである。

どうしてなのだろう?

今度は木の葉っぱで蛇の顔を押して、どうぞ行ってくださいと言ったのに、

また引き返してきて私の顔を見ている。

息子も不思議そうに一緒になってそれを見ている。

私はもう一度葉っぱで押し返そうとしたら、

スルスルと私の方に向かってきた。

私は慌てて其処をどいたらジムグリはそのまま小屋の中に入ってきた。

さっきまで一升瓶に入って居にた所にである。

しばらくしたら小屋の何処かに消えてしまった。


まるで童話のような、

まるで民話のような話しである。

嘘と思うかもしれないが、これは一言一語本当の話である。

私の小屋には、

美少女がいる。

いや、この世の者とも思えないような美しい蛇が住んでいる。








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1491 転倒騒動記 [詩・エッセイ]


「転倒騒動記」


自分だけは転倒などというみっともない騒動は起こさないだろうと思っていたのに、

朝起きてベッドから降りようとした途端立ち眩みがして

後頭部をしこたま強打してしまった。

大したことはないと思っていたのに顔を洗うのさえ頭を揺らすと痛い。

冬野菜の植え付けが忙しい時期である。

カンカン照りの日中からコンクリートのように硬い畑を鍬で耕す。

周りからは狂気の沙汰と非難される。

であったが、

余りも体調が悪いので掛り付けの医者に行き、

MRIの検査を受けるが異常なしとのこと、

この医者も能天気である。


忙しいので畑作業を続けるが、

それでも頭を揺らすと痛いので、

専門医の脳外科に行って診察を受けると、

脳内に出血しているとのこと、当日なら即入院だったとか、

出血した場所が良かったとのこと、

薬で治療しながら二週間は様子を見るとのこと。

二週間後に行くと、

出血の量が増えているとのこと。

最悪かと思ったら、

今度は三週間様子を見るとのこと。

この医者も能天気だ。


何かあったら直ぐに来いとのことであったが、

良いのか、それとも悪いのか、サッパリ分からない。

おもわず、

これは何じゃと思わず思ってしまった。

最悪の時は、

脳に穴をあけて血を出すとのこと、

この先生もお気楽である?


先生たちは能天気でいいけど、

私は家の嫁さんに拘束されてしまい身動きが取れない、

せめて先生と家の嫁さんを足して

二で割ってほしい。


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1490 恥を知らない大人たち [詩・エッセイ]


「恥を知らない大人たち」


50年に一度の、100年に一度の

大雨と大嵐です。

自分の命は自分で守ってください。

それ迄に

聞いた事もないような切羽詰まったアナウンスを

私たちは何度聞いた事だろう


押し寄せる大津波のように深刻さを増す地球温暖化に

私たち大人は、

放っておけば誰かがどうにかしてくれるだろう。

まるで自分には関係ないと言わんばかりに

知らん顔の

頬被りを決め込んでいたら

巨大津波に襲われ、

集中豪雨の洪水に襲われ

巨大台風に襲われ

怪我をし

命を失くし

住む家まで失くしてしまった。


この母なる青い地球には

現在80億ちかい人間が住んでいるというのに

その大部分を為す大人たちは

無責任を絵に描いたような

知らん顔


たった一人

16才の少女が立ち上がって

恥を知らない大人たちに向かって叫んだ。


あなたたちは

空っぽの言葉で、私の夢と子供時代を奪い去った。

私たちは絶望に差し掛かっているのに、

話すことといえば金のことと、永遠の経済成長というおとぎ話だけ。


・・・それでも座視し続けているなら、

あなたたちは悪だ。


少女は国連で

悪魔の大統領(ダミヤン)に接近した時

恐ろしい貌で睨み付けた。





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1489 秋の風 [詩・エッセイ]


「秋の風」


一人ぼっちの畑に

陽は登り

夏の名残りを残して照り付ける太陽がいる


鍬を

振り上げ振り下ろし

畑を耕せば

塩辛い汗は潮のごとく押し寄せて来る


小屋の椅子に座ると

流れ落ちる汗に

そよ風が

そっと愛撫する


小鳥たちは耕したばかりの土のなかの虫を啄み

赤トンボは群れて空に舞い

白鷺は羽音を軋ませながら飛んでいる


しばしの至福

しばしの悦楽

老いてもなお生きる歓びを知る

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1488 杞憂


「杞憂」


いにしえの

中国の杞の国の人たちは

人が悪い事をすると

天地が崩れ落ちるのではないかと憂いていたそうです


後の人は

そんな事は起こり得るはずがない

それは

杞憂だといって嘲笑っていました



人は知らないのです


この仰ぎ見る

天は

豆腐のように柔らかく


この我が身を支え踏み締めている

大地は

薄い氷のようにとても脆いものなのです


もうその天地は支えきれなくなり

本当に

天地が崩れてしまうのではないかという

その恐ろしさに

怯え 震え 戦きながら生きているのです


後の人は

先住民の土地を奪い

人種差別をして奴隷にして自国に連れ帰り

劣悪な環境に暮らさせ

無差別テロを産みました


そして今は

自国さえ良ければそれでよし

自分さえ良ければそれでよしの風潮が世界に蔓延し

人は飢えに苦しみ

貧富の差は山と谷ほどあり

人の住む環境は破壊され自然災害の猛威に曝され

人は憎しみあい

避難民は増え続け暴動と戦争

今の天地は

地獄よりも地獄的です


無数の愛が支えていた

この天地には

もう支える力が残ってはいないのです

もう崩れるのを待つばかりなのです




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1487 畑の小屋 [詩・エッセイ]


「畑の小屋」


石ころだらけの借りた畑に小屋を建ててから、

もうかれこれ20年近くになる。


汗みずく、

泥だらけになりながら無我夢中になって働き、

よく風の通る

小石を敷き詰めた通路の椅子に座り

冷たい水で喉の渇きを癒し、

誰にも邪魔をされずに、

ただ、ぼんやりと空を眺めながら、

物思いに耽り、

居眠りをする。


それが無上の幸せ。

加山雄三ではないが、

「僕は幸せだなァ」

と これまで数え切れないくらい思ったものである。

これが小さな幸せか、

大きな幸せかは知らないが、

掛け替えのない大切なものと感じている。


外を向いても

内を向いても

不条理が我が物顔にまかり通っている。


そんな殺伐としたものから埋め合わせをしてくれるかのように、

私は独りだけの快楽を貪っている。


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1486 ファシズムの足音が聴こえる [詩・エッセイ]



「ファシズムの足音が聴こえる」


いつも同じ事ばかり書いて申し訳ないと思うのですが、

嫌な時代になったものだと思う。

これより以前の国際政治も良かったと思ったことは只の一度も無かったが、

これほど酷い時代も無かったのではないだろうか?



実の兄を殺し、叔父を殺し、従わないものを大勢殺し、あらゆる犯罪を犯し、

核兵器やロケットを開発し近隣諸国を恫喝する無法者の

北朝鮮の金正恩。


その金正恩から来た親書を美しい手紙を貰ったと嘯く

アメリカのトランプ大統領。


その金正恩にすり寄り抱きつくのは気持ちの悪い男娼のような

韓国のムンジェイン大統領。


その金正恩の後ろ盾になりたがるファシズム国家の

中国の習近平と

ロシアのプーチン大統領。


その外にも民主主義を否定する国家が次々と誕生しているのは

何を意味するのだろうか?


こんな恥ずかしい指導者を戴いている国民は

恥ずかしくはないのだろうか?


自分には、

この無法者たちに抗うものを何も持たないが、

せめて

怒りの一文で異議を唱えたいと思う。





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1486 アボガドの木 [詩・エッセイ]


「アボガドの木」


アボガドの実は芽を吹いて育つが越冬は出来ないと聞いていたが、

どうもそうではないらしい。

試しにと

アボガドの種をベランダーの鉢の土の中に埋めていたら、

何時ともなく

芽を吹いて可憐な顔を見せてくれていた。


それが10センチに育ち、

20センチに育ち、

芽が出てから一年近くなる今では90センチの背丈に育ち、

葉の色艶も、

姿形よく

華麗な美青年か美少女のように

嫋やかにに育っている。


途中で新芽をアブラムシに喰われ枯れてしまうのかと思っていたら、

葉っぱの六段目くらい下の葉っぱから

脇芽が吹き出し、

それが新芽のメインとなって育ち、

その長さだけで30センチの長さに育っている。


美しいものも、

幸福も、

意外なところに転がっているものである。



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1485 夜明けとともに [詩・エッセイ]


「夜明けとともに」


ビックバン宇宙論によると宇宙は138億年前に生まれたと言われています。

太陽系が属する天の川銀河が生まれたのが100億年前、

太陽の誕生が46億年前、

地球が誕生したのが45億年前、

海が生まれたのが40億年前、

最初の生命が生まれたのが39億年前、

最初の生命体は有機物とアミノ酸の化学反応によって生まれたといわれています。

我々の祖先である類人猿は700万年から500万年前に誕生、

そして人間の文明が生まれ、

ついこの間の100年くらい前までは、


夜明けとともに起き、

日が暮れれば寝る。

それがまっとうな人間のライフスタイルでした。


それから色んなものが発明され

文明は進歩しました。


そのテクノロジーの進歩により人間のライフスタイルに変化が生じ、

夜明けとともに起き、

日が暮れれば寝る。

という人間の根源的生活習慣が破壊されてしまうと、

人間は狂い始めてしまったのです。


親が我が子を惨たらしく虐めて殺し、

子は家に閉じ籠もり親を金属バットで殴り殺す。

か弱き児童を道連れにする殺人者もいれば、

誰でもよいから人を殺して見たかったと嘯く殺人者が蠢く地球。


こういう地球の近未来を予言した人がいます。

それは宇宙物理学のスティーヴン・W・ホーキング博士です。


「地球のように文明の発達した惑星は、全宇宙の中には二百万もあろうが、

それほど文明の発達した循環が狂いきわめて不安定になって、

宇宙全体の時間からすれば瞬間に近い時間帯の中で消滅してしまう」


この地球の狂った時間を取り戻し修復するのは、

夜明けとともに起き、

日が暮れれば寝る。

これに尽きると思うのです。






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1483 見果てぬ夢 [詩・エッセイ]


「見果てぬ夢」


手紙もまともに書けないような劣等生が、

頭の中に空洞が出来、

後期高齢者になったというのに何をとち狂ったのであろう、

400字詰め原稿用紙に換算して368枚の作品

「神田神保町物語・月の舩」

最初にして最後になる文学賞に応募してしまった。


年寄りの冷や水、

辞書には高齢に不相応な危ない行為とあるが、

「ラ・マンチャの男」の中で歌われている

見果てぬ夢のように、

最期まで見終わらない夢、

心残りなことや実現不可能なことのたとえであるが、

それでもわたしは挑戦したいと思って

応募してしまった。


でも、創作するという行為は楽しいものである。

「小説家見て来たような嘘を言い」

ホントは、

講釈師見て来たような嘘を言うが本家らしいが、

誰にも束縛されるでもなく、

自分の気が向く儘に、

やりたい放題に書ける醍醐味は至福の極みである。


それに自分の実力よりは遥かに好いものが出来たと、

何時も乍らの自画自賛である。

もう次の題材が書きたくて書きたくて、

うずうずしている自分の年齢は

十七歳になったばかりである。

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